大判例

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東京高等裁判所 平成元年(う)22号 判決 1990年1月17日

本籍

神奈川県鎌倉市雪ノ下一丁目三九四番地

住所

横浜市磯子区磯子六丁目四〇番三 ランオンズマンション磯子山王台二〇三号

会社役員

渡辺昭雄

昭和二四年一一月三〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年一一月三〇日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官豊嶋秀直出席の上審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護士古川善博名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用するが、所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、本件は、東京都内や横浜市内でいわゆるゲーム喫茶を経営していた被告人が、自己の所得税を免れようと企て、営業店舗の借入名義人を他人とし、あたかも他人が経営者であるかのように装うとともに、売上金の一部で仮名預金を設定するなどの不正な方法により、所得を秘匿した上、昭和五九年から同六一年までの三年分の所得(この間の総所得金額は合計三億四〇八六万八三一一円)を全く申告せず、源泉徴収税分を除き、合計二億四一二万八三〇〇円の所得税を免れた、というものであるところ、被告人は、ゲーム喫茶の経営が警察に発覚し、賭博事犯で摘発されることを恐れ、また、自己や家族の将来のために収益を備蓄しようとの気持から、本件犯行に及んだものであつて、自己中心的であり、動機に酌むべきものが乏しい上、逋脱額が極めて多額であること、いわゆる無申告脱税であること等に鑑みれば、犯情は甚だ悪質といわざるを得ず、被告人の刑責はかなり重いとしなければならない。

そうしてみると、所得秘匿の手口が比較的単純であること、被告人は査察開始後本件を率直に認めていて反省の色が見られること、原判決言渡の時点までに、逋脱した所得本税の金額及び重加算税、延滞税の一部を納付済みであること、ゲーム喫茶を廃業していること、被告人の前科は業務上過失傷害罪による罰金一件だけであること(原判決がこれらの情状を被告人のために考慮していることは、その量刑の理由欄の説示に照らし明らかである。)、更に、被告人は、原判決後、重加算税の一部として一〇〇万円を納付し、未納付分についても今後少しずつ納付するつもりである旨供述していること、その他所論指摘の首肯できる諸点を被告人のために斟酌しても、被告人を懲役一年六月及び罰金四〇〇〇万円に処した上、四年間右懲役刑の執行を猶予することとした原判決の量刑は、懲役の刑期及び猶予期間の点を含め、まことにやむを得ないところであつて、不当にも重いものとは考えられない。

これに対し所論は、脱税者の不法な利得を剥奪するという脱税事件における罰金刑併科の趣旨に鑑みると、本件において被告人に罰金刑を併科することは、それ自体が不当であり、いわんや、四〇〇〇万円という原判決の罰金額は重過ぎる、というのである。しかし、罰金刑も犯罪に対する制裁であり、経済的利益の追求を目的とした犯罪においてそれが発覚した場合には、犯罪による利得が全く残存しない時でも厳しい経済的制裁を受けるものであることを明らかにし、もつてこの種の犯罪を予防しようとするもと解されるのであつて、これを所論のように当該犯罪による不法利益の剥奪に限定すべきものとは考えられないから、原判決が被告人に対して罰金刑を併科したことはむしろ当然であり、本件事犯の規模・態様・結果等に徴すれば、四〇〇〇万円という罰金額(逋脱税額の約一九・六パーセント)が多額に過ぎて不当とは思料されず、この所論は採り得ない。

更に所論は、被告人が罰金を完納することができない場合の労役場留置の換算率を一日につき一〇万円とした点において、原判決の量刑は過酷で不当である、というのであるが、刑法一八条の規定の趣旨、同種の脱税事犯における量刑の実情等を考慮すると、被告人の経済生活の実情等を斟酌しても原判決の量刑がこの点で被告人に過酷で不当であるとは思料されないから、この所論も採用できない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺澤榮 裁判官 堀内信明 裁判官 新田誠志)

○控訴趣意書

被告人 渡辺昭雄

右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴趣意は後記のおとりである。

平成元年二月二七日

右被告人弁護人

弁護士 古川善博

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一、原判決は被告人を懲役一年六月(四年間執行猶予)及び罰金四〇〇〇万円(罰金不完納の場合一日一〇万円に換算して労役場に留置)に処したが、右刑の量定は不当である。

一、被告人が本件脱税を行つたのは、所得税の申告納付をすることにより被告人が営業していたゲーム喫茶が賭博事犯として警察に検挙されることの端緒となることをおそれたからであり、併せて業績が上がつているうちに資金の蓄えをしておこうこと考えたからであるが、事業内容については本件では直接問題とされていないので、その適否はさておき、被告人は所得税の申告をしなかったことにより手許に留保した金員を自己もしくは友人知人名義で預金し、その通帳等を自宅に保管していたことにより、本件で国税局の査察を受けた際関係書類として全て押収されたものであつて、脱税の手段方法は極めて単純幼稚である。

加えて、本件では被告人の脱税額の算定について財産増減法によつているところ、被告人が自ら右通帳等を保管し、しかも、被告人は本件を反省し取り調べに当たつて正直に供述したことが被告人の所得確定を容易にした事情がある。

二、被告人は、高校中退後デザイン関係の専門学校に進んだ後喫茶店の従業員として働き、その後スナックを経営したが経営が思わしくなく閉店し、喫茶店のアルバイトをしていたが、昭和五八年一一月ころ内縁の妻竹内文枝の父母の資金的な援助をえて喫茶店ゼロを開店するに至ったものであるが、通常の喫茶店としての経営が思わしくなく倒産を回避するためゲーム喫茶に変更したのであつて、そのことが本件の原因にもなっているのであるが、被告人はそれまでの間金銭的に恵まれておらず、金銭的に苦労してきたという被告人の経験に照らすと、金銭的な困窮を回避しようとしたことは心情的には十分理解しうるものがある。

三、被告人が本件によつて納付すべき所得税の本税は二億円余であるが、被告人が他人名義等で預金していて国税局に差し押さえられた預金等によつて全額納付済みであり、このことは被告人が私利私欲から本件に及んだと見られることはやむを得ないところであるが、被告人は脱税により得た金を個人的な遊興に使ったことはほとんどなく、その生活はむしろ質素であつたことを示している。

また、被告人は本件の期間中に有限会社ノース商会を設立し、ゲーム喫茶の経営からの脱却を意図しており、同社の業務拡張のための資金に本件で手許に留保した金員を当てたりしておりこのことも情状として十分考慮に値するものである。

被告人は右のような経緯から本件に及んだものであるが、本件で査察を受けるに及んで脱税が自己中心的な行為であることを今更ながら認識し深く反省している。

四、被告人は修正申告をしており、所得税の本税は金額、重加算税、延滞税は一部を納付済である。

この点については被告人が内縁の妻の父竹内義和の助力をも得ているが、被告人がゲーム喫茶を経営していた全期間が本件査察の対象となったことから被告人には手許に秘匿した金員が全く無く、しかも本件査察後はゲーム喫茶を廃業したことから有限会社ノース商会からの役員報酬等で切り詰めた生活を余儀なくされたことに帰因するものであつて、重加算税・延滞税が一部未納であることはそれ自体を被告人の不利益に解するべきものではないと思料する。

この点について、被告人は一八〇〇万円を現金で納付し、また、差し押さえられた株券(時価約五〇〇万円)は公売予定であり更に、被告人の有限会社ノース商会に対する貸付金も差し押さえられており、これについては、同社が保有する店舗の保証金二〇〇〇万円によつてその納付が担保されている状況にあり、これらによつてなお不足するものについては、被告人が同社の経営を堅実に行うことにより業績を挙げて納付する予定であり、被告人は強い納税意欲を有している。

五、被告人は脱税が右のように修正申告によつて納付すべき税額からみても利益にはならないことを身をもつて感じており、納税が国民の大切な義務であることを自覚し納税意識を喚起しており今後は正しい税金の申告と納税を行うべく決意しており、被告人には再度同種事犯に及ぶおそれは全く無い。

六、被告人の家族は内縁の妻と二人であるが、被告人の会社経営による収入によって生活しており、内縁の妻も会社の業務に従事しているものの経営状態が良くなく収入を得るに至っていない状況にある。

また、従業員の雇用確保の観点からも被告人が中心となって同社の営業活動を継続することが不可欠であり、被告人なくして家族の生活と会社の経営を存続することは不可能である。

七、被告人には、業務上過失傷害罪による罰金前科のほかには前科はなく、今後は一層誠実でまじめな社会人として活躍したいと念願しており、本件により受けた種々のダメージをはねのけて一層職務に精励し同社を発展させることを通じて社会に寄与し、その中で納税の義務も誠実に果たしていく覚悟である。

八、原判決は、このような被告人に対し懲―については検察官の求刑のとおり懲役一年六月に処し、その刑の執行を四年間猶予したものであるが、その量刑が重きに失するとともに、執行猶予期間も長きに過ぎると言うべきである。

九、また、原判決は被告人を罰金四〇〇〇万円に処したが、本件が罰金刑を併科するのは、脱税事件について懲役刑のみを科すと各種の課税によるのみではなお当該行為者の手許に所得が残ることになる場合が想定され脱税を予防することは困難になるとの見地から、当該行為者の手許から所得税に相当する金額の範囲内で罰金刑を科することにより犯罪の一般予防・特別予防を目的としたものであると認められるが、本件所得税法違反事件について被告人の課税所得金額は合計三億三九五七万五〇〇〇円であるところ、被告人は修正申告により、所得税の本税として二億〇四一二万円を納付しており、同額が罰金額の上限となるところ、被告人は右本税のほか延滞税二一八三万円余重加算税七一四三万円余を納付すべき義務を負担しており、更には県市民税、事業税についても本税のほか延滞税、重加算税を納付しなけれはならず(この点の税額については控訴審において立証予定)、各種税金の負担金額は被告人の前記課税所得金額を超過してしまう状況にあり、しかも前述のとおり被告人はゲーム喫茶を開業中の全期間を通じて査察を受けたため他に秘匿している利益は一切ない。このような被告人にとつては、罰金刑を併科すること自体が酷にすぎるというべきであつて、まして罰金額が四〇〇〇万円というのは刑の量定を誤つており、被告人にとつて余りにも過酷な刑罰であると言わざるを得ない。更に、被告人の現在の生活状態、収入状況からみて右罰金額を完納できるかどうか危ぶまれており、もし完納できなければ労役場留置とならざるをえないが、この場合原判決は労役場留置一日を罰金一〇万円と換算するとしており、仮に被告人が罰金四〇〇〇万円に処せられ罰金額を全く納付できない場合は四〇〇日間労役場に留置されることになるが、刑法第一八条第一項により罰金を完納できないで労役場に留置する場合その期間は二年以下とされており、高額の罰金についても労役場留置期間は二年以下でなければならないことを考慮すると、一日を罰金一〇万円とした前記換算は被告人にとつて極端な不利益を科す不当なものであって、この点も刑の量定の不当に準じて、刑事訴訟法第三八一条による控訴の理由とするものである。

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